テーマは“生きることのすばらしさ”。日本人の研ぎ澄まされた清廉さを表現したい
時には心に寄り添ったり、普段過ごしている中で見過ごしがちな何かを教えてくれたりする映画、音楽、彫刻などのアート作品。なかでも絵画に触れた時、あなたは何を感じるだろうか?
画家たちの絵に触れるたびに、どんな手法で描いたのか、どんな想いと心を込めて完成させたのかなどと考えを巡らせたくなる。時には、一枚の絵にも関わらず、画家の言葉が文字として浮かび上がってくるような不思議な感覚にさせてくれる。それは、絵と言葉のセットで表現されている絵本と似ているようにも思えたりもする。
技法も違えば、モチーフも様々。描きたいものを描くのか、それとも誰かのために描くのか。“みんな違って、みんな良い”を体現しているのが、アートであり絵画なのかもしれない。作品をじっくり眺め、タイトルやキャプションを読み、画家の想いをストレートに受け止めるのも1つの楽しみ方であれば、作品に触れた瞬間に感じ取ったものを自分自身で解釈して向き合う楽しみ方もある。鑑賞する側にとっても、“みんな違って、みんな良い”のだ。
作品に触れて湧き上がる感情が出て来た時、描いた画家の心と会話しているかのような時間が訪れたりする。そんな体験をすることで、きっとこれまでとは違う作品の見方や、作品との出会いを発見できるではないだろうか。
今回は、現在銀座で個展を開催されている日本画家の福永明子さんにお話しを伺いました。中学生の時に漫画雑誌『りぼん』で漫画家最年少デビューをした後、京都で日本画を学び、現在は育った街・柏で制作活動を続ける福永さんの思考の一端を知ることで、より作品を楽しむきっかけになってくれたらと思います。
※インタビュー中に挙がった福永さんの作品については、リンクを貼っていますので、ぜひ御覧ください。
―漫画家としてデビューされながら、京都で日本画を学ばれたんですね。日本画への興味や原体験は、どういったものだったんですか?
【福永】:父が百貨店に勤めていて外商をしていて、絵画も商品の1つだったので家に画集が色々とあったんです。それを小学校の高学年ぐらいから、パラパラは見ていましたけど、本格的に見るようになったのは高校生になってからですね。
上村松園さんや東山魁夷さんの絵は好きだったし、その頃は漫画を描いていたので、人物の描写に魅かれるところがあったので、森田曠平さんの絵もすごく好きでした。松園さんも森田さんも、京都に所縁のある人なんですよ。魅かれる感性が、なんとなく京都に行きついたんです。同じころに好きだったミュージシャンも京都の人でしたし(笑)
京都と日本が私の中ではセットになっていたので、東京の美大に行くという選択肢は無くて、京都の大学に行くことを選びました。実家を出たかったというのもあるんだけど。
―福永さんが魅せられた“日本画”とは、どういう絵画を指すのですか?
【福永】:岩絵具と膠(にかわ)を使っている絵画を“日本画”と呼ぶんですよ。明治時代に入ってきた油絵具の洋画に対して、元来の絵画を日本画と呼んだので、“東洋画”と言っていいものだと思います。だからモチーフは関係が無くて、日本風の絵を描けば日本画というわけではないのです。その辺りは曖昧で、呼び名を変えようとする動きもありますけど、私はその材料を大事にしたいと思っています。
―岩絵具ならではの魅力を感じていらっしゃるということでしょうか?
【福永】:そうですね。岩絵具は、いわば“宝石の粉”なんです。例えば、白だったら水晶の粉だし、緑青という絵具は孔雀石の粉だったりします。今は、天然の岩絵具が尽きてきて高価になり過ぎたので、ガラスを染色して砕いた合成のものもあるんですけど、基本的に岩絵具は自然が作り上げた化合物で、合成していないっていう特徴があります。採れる産地や条件によって、純度が変わってきたりもします。
岩絵具は粒子が粗いんですよ。油絵具は、細かくパウダー状にした顔料を油と混ぜているんですけど、岩絵具はそれよりもだいぶ粗い。だから塗り重ねた時に、隙間があるというのかな?その隙間が、下を活かすわけです。何度も何度も塗り重ねても、下が活きてくるんです。その重なりを考慮して、色を重ねていくんです。塗りこめていく間に、精神的なものが作品に入っていくと思っているので、そういう意味では私の中での日本画は「スピリットが入っている絵画」という認識ですかね。
―YouTubeで能舞台の鏡板を製作する様子がアップされていましたが、画面越しでもあの青色が綺麗でした。
【福永】:その動画の中でも話していますけども、京都の恩師が特別に分けてくれた群青で、その先生の名前が付くぐらい独特のちょっと紫っぽさもある、すごく澄んだ青なんです。本当に貴重なものを頂いたなと思っていて、その時の絵皿に余った岩絵具を乾かして「いつか使おう」と取っていて、それを今回の個展に出す『引き寄せる未来』という作品でも使いました。
【福永】:実は、青はどちらかというと苦手で、個人的には赤の方が好きなんです。私が赤だから、青と引き合うのか、青が似合うとか青が好きというモデルさんが多くて、先ほどの群青に限らず青はよく使う色ですね。
―モデルさんの話が出ましたが、お花や女性をモチーフにされている作品が多いですよね。
【福永】:それ以外を描かないというわけではないんですけどね。風景も描いていましたけど、単純に日焼けが嫌でとかで、段々とスケッチをしなくなったというだけで(笑) 今回の個展に、富士山の絵も出すんですけど、部屋の中から描いたから日焼けはしなくて済みました(笑)
―作品を描く時にはスケッチから入ることが多いんですか?
【福永】:スケッチをすることで、被写体との対話、コミュニケーション取るという感じです。花だったら机の上に置いてスケッチを描いていますし、人物画だったら時間の都合でモデルさんを前にしてのスケッチが出来ない時は、写真で描くこともあるけど、基本はしっかりとスケッチをしますよ。
―下絵というよりは、モチーフと対話をするためのものなんですね。
【福永】:自分の作品にするためにですね。ただの模写ではないので。頭の中で作品を組み立てるための一段階目という感じですかね。
―ただの模写にはしないというのは、アイデアが必要になってくると思います。スケッチをきちんとして、設計図のように緻密に組み立てていながら、想像の部分みたいな所との合わせ方はどうやって作り上げていくのですか?
【福永】:頭の中にイメージがあるので、それに近づけていく作業ですね。偶発的に画面上で起こる反応が面白い時もありますけど、基本的には脳内にビジョンがあって、それを具現化する。色んなタイプの画家がいると思いますけど、私は頭の中のビジョンに近づける作業というか、「そのためには何をするのか?」というのを逆算して考えていく感じです。何十回も塗り重ねる一段階目はこれで、二段階目にはこれというプロットが頭の中にあります。
―ただの模写にはしないという部分に繋がるかもしれませんが、作品からは生命力・生命感があるのに、被写体が孤立していないというか、すっと空間に溶け込むような印象が残りました。
【福永】:花の絵なんかで、「生っぽい」と言われると、すごく嬉しいですんですよ(笑)
仰っていることは、私が上村松園さんの絵を見た時に、感じるそれと近いのかもしれませんね。日本人の研ぎ澄まされた、“シンプルな清廉さ”という感覚でしょうか。そういうのは表現したいなと思う所だし、それを出せた時には嬉しくなる。
その清廉さで言うと、女性の作品を描いた時にエロティックにしたくないというのもあります。モデルさんは肉感的でありながらも、“精神の現れ”として私は見ているから、その精神の方が主体であって、肉感的な部分は後ろという感じ。言葉にするなら“purity”なのかな。
―女性のモデルさんの表情や仕草に、鑑賞している側が想像する余白があるように感じるのですが、その辺りは意識されていますか?
【福永】:特に意識はしていないかな。上村松園さんの絵が持つ崇高さに、私はまだまだ及ばないというか、ああいう絵を描けたら良いなとは思いますね。松園さんのインタビュー記事で、彼女もpurityみたいな所を表現したいと言っていたんですよ。女性が女性を描く時には、恐らく自分を描いていて、自分の代弁者みたいな所があるから、画家の考えや精神性をその形を借りて表現しているのだと思います。
―今は、個展【福永 明子 展 -ひのもと-】(2/29~3/10@銀座柳画廊)の直前でお忙しくされている最中だと思いますが、創作に入る前の時期に、アイデアや表現の幅を広げるために意識的に行動されていることはありますか?
【福永】:個展前は集中しなければならないから、バーっと描いているけど、普段は普通に生きているので、特に無いです(笑)
―今回の個展だと、どれくらいの期間をかけて作品をつくっているんですか?
【福永】:前回から間が3年空いたんですけど、それまでは2年ぐらいの間隔でやっていて、基本的にはその間に描き貯めて発表する。普段は半年ぐらい前から準備をし始めるんだけど、今回は能舞台の仕事があったりその後も忙しくて2~3か月しかなくて、すごい勢いで描きました。
―次の個展を意識して描き貯めていく時は、最初の段階からテーマや方向性を考えながら描いていくのですか?
【福永】:私の作品には、“生きることのすばらしさ”みたいな一貫したテーマがあるんです。今回は、それにプラスして“日本”というものもテーマにしたんです。“日本”というのは、前々から少しずつ描いていますけど、「このテーマでやりたい!」というのは、3年前の個展の時から思っていました。富士山も、いつかは描こうと考えていたんだけど、それがこのタイミングかなとも感じて、今回描きました。
―日本にフィーチャーしたから個展のタイトルが“ひのもと”なんですね。
【福永】:日本という国名の元を辿ると、“ひのもと”だったんじゃないかなと思っているんですよ。日本というのは、その意味に合わせて、漢字を当てはめたんじゃないかなと。1番初めに太陽が上るところだし、たぶん“ひのもと”だろうなって思うんです。
これは私の歴史考察なんだけど、たぶん色んな所からみんなが日本に集合したんじゃないかな。日本人には、色んな顔の系統の人がいるでしょう?きっと色んな所から“ひのもと”を目指して来たんだろうなって。
それはこの国の精神的な部分の根幹だったりするのかなと思っていて、そこに立ち返る時期に来ているとも感じています。立ち返るために「まずは自らの国に誇りを持とう」というのを私なりに発信したいなと考えて、今回のテーマにしたんです。
―ここ数年はパンデミックや物価高などで、特に閉塞感が続いている印象もありますしね。
【福永】:この個展に合わせてつくった画集に“和を以て尊しと為す”という言葉について書いたんですけど、これも日本人の精神のベースになる部分ですよね。これを地球上の人たちみんなが持てば、たぶん世界が平和になる。でも、この民族性は日本人特有のものだから、誇りを持って良いんですよ。
画集の表紙にもなっている桜の絵はアメリカに行くことになっていて、そんな風に作品に込めた精神が世界に散らばってくれたら良いと思っています。
個展について、言葉で説明をしようと思えば出来るんだけど、身体が反応するのが本当の感動というか、何か分からないけど鳥肌が立っちゃうとか、涙が出ちゃうとか、そういうのをまず体験して欲しいですね。来てもらえれば、きっと何か感じるものがあると思うので。
―来年には今日取材させていただいているパレット柏で、個展が決まっているんですよね?
【福永】:毎年1人の作家が、パレット柏の企画で個展をやっているんです。3年ぐらい前にオファーを頂いて、来年は私の個展をやります。画廊に預けている作品とかも全部こっちに持ってきて、ここでコンサートもやろうかなと。
2021年の個展に出した『蒼天』という縦1.8m×横4.5mの大作があるんですけど、この作品のために、私の盟友である音楽家の小川紗綾佳ちゃんが、曲をつくってくれたんです。2021年の個展の時は、彼女が子供を授かってコンサートをするが難しかったので、音源を発表したんですけど、来年の個展では、その曲をここで演奏してもらおうと思っています。
―2012年からは、『アートラインかしわ』というアートイベントの中のプログラムの1つである『共晶点』に、企画から携わられていますよね。先ほどの個展といい、柏はアートに力を入れている街のように感じます。
【福永】:柏って以前はSomething Elseなんかを出したストリートミュージシャンの街だったのを知っています?柏駅のダブルデッキの所で、演奏する人たちがいっぱい居たんですよ。これには仕掛け人がいて、その方が“音楽の街・柏”というのを10年かけて作り上げたんですよ。その方が次に仕掛けたのが、2006年から毎年秋に開催している『アートラインかしわ』というイベントなんです。
アートラインかしわは、アートを使った街づくりなんです。この街を舞台に、色んなイベントをやっていて、その1つが『共晶点』。柏にゆかりのある若手から中堅の作家(日本画、油画、彫刻、金工、刺繍、折り紙など)の作品を展示しています。
共晶点は物理用語で“複数の成分が混ざり合う溶液から共融混合物が生じる温度”という意味なんですけど、ジャンルは違ってもクリエイター同士って触発し合うんですよ。自分の作風とは全然違うんだけど、「この人も頑張っているから、私も頑張ろう」とか、刺激し合う。
どういうジャンルでも一緒だとは思うんですけど、そういう仲間が増えていくと、相乗効果ではないけど、みんな頑張るんですよ。それで、気が付いたら共焦点も12回も開催しています。
仲間が増えるというのは、学生の子が入ってきたりして新陳代謝もあるんです。50代になって、「下を育てていく年代になったなぁ」とも思うから、柏大好きな若者・次世代をつくっていくのが、今の私の役割かなと感じています。
―キャリアを拝見すると、漫画から始まり似顔絵やライブペインティング、シャッターアートなど色々なジャンルを通っていらっしゃいます。それを経て、学生時代に学んでいた日本画に戻ってきた時に、日本画の見え方や取り組み方に変化はありましたか?
【福永】:私以外の人が見ると、変遷してきたように思うでしょ?私の中では全然違っていて、似顔絵やシャッターアートはあくまでも仕事なんですよ。自分の表現としてやっていたのが漫画であり、その後に日本画になっていくんだけど、それと仕事はまったく別なんです。
ただ、ライブペインティングは趣味かな(笑) 周りの友達がやるっていうから、割と気軽にイベントの一出演者として出てていただけだし、音楽家さんとのコラボレーションだったので、それはまた別のものかな。
―絵や音楽など表現を志す場合、社会に出てから作品づくりと生業の部分で、バランスを取るのが難しかったり、自分のやりたい事がやれないようになっていくという話もよく聞きます。その辺りは、どう折り合いをつけながらやってこられたのですか?
【福永】:幸いなことに、今は画廊が自由にやらせてくれるので、そこはありがたいなと思っていますね。売れるための絵を描かなければならないという境遇にはいないから、自由にやれています。
実は20代半ばから約10年間、ほとんど自分の製作が出来ていないんですよ。仕事が忙しかったり、年頃だったから色々あって精神的に参ってしまったりとかで、自分の製作に時間が取れなかったのと、作品づくりをする気にならなかったというか……。でも、仲間がいたから復帰が出来たし、周りに触発されて作品と向き合うようになったんです。今となっては、すべて必要あってのことじゃないかなと思っています。
お金になる、ならないみたいな事とか、やりたい事ができないとか、クリエイターに限らずみんな抱えているんじゃないですかね。でも、いかに工夫をして、その環境でどう自分の中でやり甲斐や、やる意義を見つけていくのかということですかね。
私もね、やりたいことを違うことを仕事として受けることもありますよ。でも、その中で出来ることを探すというのは、それはそれで面白いと思いますよ。
―今は、面白いことだけを選んでやっている感じでしょうか?
【福永】:そうそう。やりたくない事は、やらないって決めたんです。2012年にバセドウ病を発症して、進み具合から3~4年前から始まってるねと言われました。原因は過度のストレス。ちょうど気が進まない仕事をやっていた時期でした。やりたくないんだけど、責任感から身体の悲鳴を無視して、気力で抑え込んでいました。
それ以来、「これからは身体の言いなりになる!」って決めて、そこからは、ストレスを感じるようなことも、我慢もしていないかな。
実はね、前半に話した能舞台の話も、最初は気が進まなかったんですが、能楽師さんと会った時に「この人のためになら協力したい」と思ったんです。それは、自分で決めたことですからね。やりたいことに変換する術を覚えたから、ストレスは溜まらないんですよ。
画家たちの絵に触れるたびに、どんな手法で描いたのか、どんな想いと心を込めて完成させたのかなどと考えを巡らせたくなる。時には、一枚の絵にも関わらず、画家の言葉が文字として浮かび上がってくるような不思議な感覚にさせてくれる。それは、絵と言葉のセットで表現されている絵本と似ているようにも思えたりもする。
技法も違えば、モチーフも様々。描きたいものを描くのか、それとも誰かのために描くのか。“みんな違って、みんな良い”を体現しているのが、アートであり絵画なのかもしれない。作品をじっくり眺め、タイトルやキャプションを読み、画家の想いをストレートに受け止めるのも1つの楽しみ方であれば、作品に触れた瞬間に感じ取ったものを自分自身で解釈して向き合う楽しみ方もある。鑑賞する側にとっても、“みんな違って、みんな良い”のだ。
作品に触れて湧き上がる感情が出て来た時、描いた画家の心と会話しているかのような時間が訪れたりする。そんな体験をすることで、きっとこれまでとは違う作品の見方や、作品との出会いを発見できるではないだろうか。
今回は、現在銀座で個展を開催されている日本画家の福永明子さんにお話しを伺いました。中学生の時に漫画雑誌『りぼん』で漫画家最年少デビューをした後、京都で日本画を学び、現在は育った街・柏で制作活動を続ける福永さんの思考の一端を知ることで、より作品を楽しむきっかけになってくれたらと思います。
※インタビュー中に挙がった福永さんの作品については、リンクを貼っていますので、ぜひ御覧ください。
日本人の持つシンプルな清廉さを表現したい
―漫画家としてデビューされながら、京都で日本画を学ばれたんですね。日本画への興味や原体験は、どういったものだったんですか?
【福永】:父が百貨店に勤めていて外商をしていて、絵画も商品の1つだったので家に画集が色々とあったんです。それを小学校の高学年ぐらいから、パラパラは見ていましたけど、本格的に見るようになったのは高校生になってからですね。
上村松園さんや東山魁夷さんの絵は好きだったし、その頃は漫画を描いていたので、人物の描写に魅かれるところがあったので、森田曠平さんの絵もすごく好きでした。松園さんも森田さんも、京都に所縁のある人なんですよ。魅かれる感性が、なんとなく京都に行きついたんです。同じころに好きだったミュージシャンも京都の人でしたし(笑)
京都と日本が私の中ではセットになっていたので、東京の美大に行くという選択肢は無くて、京都の大学に行くことを選びました。実家を出たかったというのもあるんだけど。
―福永さんが魅せられた“日本画”とは、どういう絵画を指すのですか?
【福永】:岩絵具と膠(にかわ)を使っている絵画を“日本画”と呼ぶんですよ。明治時代に入ってきた油絵具の洋画に対して、元来の絵画を日本画と呼んだので、“東洋画”と言っていいものだと思います。だからモチーフは関係が無くて、日本風の絵を描けば日本画というわけではないのです。その辺りは曖昧で、呼び名を変えようとする動きもありますけど、私はその材料を大事にしたいと思っています。
―岩絵具ならではの魅力を感じていらっしゃるということでしょうか?
【福永】:そうですね。岩絵具は、いわば“宝石の粉”なんです。例えば、白だったら水晶の粉だし、緑青という絵具は孔雀石の粉だったりします。今は、天然の岩絵具が尽きてきて高価になり過ぎたので、ガラスを染色して砕いた合成のものもあるんですけど、基本的に岩絵具は自然が作り上げた化合物で、合成していないっていう特徴があります。採れる産地や条件によって、純度が変わってきたりもします。
岩絵具は粒子が粗いんですよ。油絵具は、細かくパウダー状にした顔料を油と混ぜているんですけど、岩絵具はそれよりもだいぶ粗い。だから塗り重ねた時に、隙間があるというのかな?その隙間が、下を活かすわけです。何度も何度も塗り重ねても、下が活きてくるんです。その重なりを考慮して、色を重ねていくんです。塗りこめていく間に、精神的なものが作品に入っていくと思っているので、そういう意味では私の中での日本画は「スピリットが入っている絵画」という認識ですかね。
―YouTubeで能舞台の鏡板を製作する様子がアップされていましたが、画面越しでもあの青色が綺麗でした。
【福永】:その動画の中でも話していますけども、京都の恩師が特別に分けてくれた群青で、その先生の名前が付くぐらい独特のちょっと紫っぽさもある、すごく澄んだ青なんです。本当に貴重なものを頂いたなと思っていて、その時の絵皿に余った岩絵具を乾かして「いつか使おう」と取っていて、それを今回の個展に出す『引き寄せる未来』という作品でも使いました。
【福永】:実は、青はどちらかというと苦手で、個人的には赤の方が好きなんです。私が赤だから、青と引き合うのか、青が似合うとか青が好きというモデルさんが多くて、先ほどの群青に限らず青はよく使う色ですね。
―モデルさんの話が出ましたが、お花や女性をモチーフにされている作品が多いですよね。
【福永】:それ以外を描かないというわけではないんですけどね。風景も描いていましたけど、単純に日焼けが嫌でとかで、段々とスケッチをしなくなったというだけで(笑) 今回の個展に、富士山の絵も出すんですけど、部屋の中から描いたから日焼けはしなくて済みました(笑)
―作品を描く時にはスケッチから入ることが多いんですか?
【福永】:スケッチをすることで、被写体との対話、コミュニケーション取るという感じです。花だったら机の上に置いてスケッチを描いていますし、人物画だったら時間の都合でモデルさんを前にしてのスケッチが出来ない時は、写真で描くこともあるけど、基本はしっかりとスケッチをしますよ。
―下絵というよりは、モチーフと対話をするためのものなんですね。
【福永】:自分の作品にするためにですね。ただの模写ではないので。頭の中で作品を組み立てるための一段階目という感じですかね。
―ただの模写にはしないというのは、アイデアが必要になってくると思います。スケッチをきちんとして、設計図のように緻密に組み立てていながら、想像の部分みたいな所との合わせ方はどうやって作り上げていくのですか?
【福永】:頭の中にイメージがあるので、それに近づけていく作業ですね。偶発的に画面上で起こる反応が面白い時もありますけど、基本的には脳内にビジョンがあって、それを具現化する。色んなタイプの画家がいると思いますけど、私は頭の中のビジョンに近づける作業というか、「そのためには何をするのか?」というのを逆算して考えていく感じです。何十回も塗り重ねる一段階目はこれで、二段階目にはこれというプロットが頭の中にあります。
―ただの模写にはしないという部分に繋がるかもしれませんが、作品からは生命力・生命感があるのに、被写体が孤立していないというか、すっと空間に溶け込むような印象が残りました。
【福永】:花の絵なんかで、「生っぽい」と言われると、すごく嬉しいですんですよ(笑)
仰っていることは、私が上村松園さんの絵を見た時に、感じるそれと近いのかもしれませんね。日本人の研ぎ澄まされた、“シンプルな清廉さ”という感覚でしょうか。そういうのは表現したいなと思う所だし、それを出せた時には嬉しくなる。
その清廉さで言うと、女性の作品を描いた時にエロティックにしたくないというのもあります。モデルさんは肉感的でありながらも、“精神の現れ”として私は見ているから、その精神の方が主体であって、肉感的な部分は後ろという感じ。言葉にするなら“purity”なのかな。
―女性のモデルさんの表情や仕草に、鑑賞している側が想像する余白があるように感じるのですが、その辺りは意識されていますか?
【福永】:特に意識はしていないかな。上村松園さんの絵が持つ崇高さに、私はまだまだ及ばないというか、ああいう絵を描けたら良いなとは思いますね。松園さんのインタビュー記事で、彼女もpurityみたいな所を表現したいと言っていたんですよ。女性が女性を描く時には、恐らく自分を描いていて、自分の代弁者みたいな所があるから、画家の考えや精神性をその形を借りて表現しているのだと思います。
3年前から考えていた“日本”をテーマにした個展
―今は、個展【福永 明子 展 -ひのもと-】(2/29~3/10@銀座柳画廊)の直前でお忙しくされている最中だと思いますが、創作に入る前の時期に、アイデアや表現の幅を広げるために意識的に行動されていることはありますか?
【福永】:個展前は集中しなければならないから、バーっと描いているけど、普段は普通に生きているので、特に無いです(笑)
―今回の個展だと、どれくらいの期間をかけて作品をつくっているんですか?
【福永】:前回から間が3年空いたんですけど、それまでは2年ぐらいの間隔でやっていて、基本的にはその間に描き貯めて発表する。普段は半年ぐらい前から準備をし始めるんだけど、今回は能舞台の仕事があったりその後も忙しくて2~3か月しかなくて、すごい勢いで描きました。
―次の個展を意識して描き貯めていく時は、最初の段階からテーマや方向性を考えながら描いていくのですか?
【福永】:私の作品には、“生きることのすばらしさ”みたいな一貫したテーマがあるんです。今回は、それにプラスして“日本”というものもテーマにしたんです。“日本”というのは、前々から少しずつ描いていますけど、「このテーマでやりたい!」というのは、3年前の個展の時から思っていました。富士山も、いつかは描こうと考えていたんだけど、それがこのタイミングかなとも感じて、今回描きました。
―日本にフィーチャーしたから個展のタイトルが“ひのもと”なんですね。
【福永】:日本という国名の元を辿ると、“ひのもと”だったんじゃないかなと思っているんですよ。日本というのは、その意味に合わせて、漢字を当てはめたんじゃないかなと。1番初めに太陽が上るところだし、たぶん“ひのもと”だろうなって思うんです。
これは私の歴史考察なんだけど、たぶん色んな所からみんなが日本に集合したんじゃないかな。日本人には、色んな顔の系統の人がいるでしょう?きっと色んな所から“ひのもと”を目指して来たんだろうなって。
それはこの国の精神的な部分の根幹だったりするのかなと思っていて、そこに立ち返る時期に来ているとも感じています。立ち返るために「まずは自らの国に誇りを持とう」というのを私なりに発信したいなと考えて、今回のテーマにしたんです。
―ここ数年はパンデミックや物価高などで、特に閉塞感が続いている印象もありますしね。
【福永】:この個展に合わせてつくった画集に“和を以て尊しと為す”という言葉について書いたんですけど、これも日本人の精神のベースになる部分ですよね。これを地球上の人たちみんなが持てば、たぶん世界が平和になる。でも、この民族性は日本人特有のものだから、誇りを持って良いんですよ。
画集の表紙にもなっている桜の絵はアメリカに行くことになっていて、そんな風に作品に込めた精神が世界に散らばってくれたら良いと思っています。
個展について、言葉で説明をしようと思えば出来るんだけど、身体が反応するのが本当の感動というか、何か分からないけど鳥肌が立っちゃうとか、涙が出ちゃうとか、そういうのをまず体験して欲しいですね。来てもらえれば、きっと何か感じるものがあると思うので。
【福永 明子 展 -ひのもと-】
期間:2024年2月29日(木)〜3月10日(日) 期間中無休
時間:平日10時-19時 土日 11時-18時
開催場所:銀座柳画廊
https://www.yanagi.com/exhibition/2024-akikofukunaga/
―来年には今日取材させていただいているパレット柏で、個展が決まっているんですよね?
【福永】:毎年1人の作家が、パレット柏の企画で個展をやっているんです。3年ぐらい前にオファーを頂いて、来年は私の個展をやります。画廊に預けている作品とかも全部こっちに持ってきて、ここでコンサートもやろうかなと。
2021年の個展に出した『蒼天』という縦1.8m×横4.5mの大作があるんですけど、この作品のために、私の盟友である音楽家の小川紗綾佳ちゃんが、曲をつくってくれたんです。2021年の個展の時は、彼女が子供を授かってコンサートをするが難しかったので、音源を発表したんですけど、来年の個展では、その曲をここで演奏してもらおうと思っています。
―2012年からは、『アートラインかしわ』というアートイベントの中のプログラムの1つである『共晶点』に、企画から携わられていますよね。先ほどの個展といい、柏はアートに力を入れている街のように感じます。
【福永】:柏って以前はSomething Elseなんかを出したストリートミュージシャンの街だったのを知っています?柏駅のダブルデッキの所で、演奏する人たちがいっぱい居たんですよ。これには仕掛け人がいて、その方が“音楽の街・柏”というのを10年かけて作り上げたんですよ。その方が次に仕掛けたのが、2006年から毎年秋に開催している『アートラインかしわ』というイベントなんです。
アートラインかしわは、アートを使った街づくりなんです。この街を舞台に、色んなイベントをやっていて、その1つが『共晶点』。柏にゆかりのある若手から中堅の作家(日本画、油画、彫刻、金工、刺繍、折り紙など)の作品を展示しています。
共晶点は物理用語で“複数の成分が混ざり合う溶液から共融混合物が生じる温度”という意味なんですけど、ジャンルは違ってもクリエイター同士って触発し合うんですよ。自分の作風とは全然違うんだけど、「この人も頑張っているから、私も頑張ろう」とか、刺激し合う。
どういうジャンルでも一緒だとは思うんですけど、そういう仲間が増えていくと、相乗効果ではないけど、みんな頑張るんですよ。それで、気が付いたら共焦点も12回も開催しています。
仲間が増えるというのは、学生の子が入ってきたりして新陳代謝もあるんです。50代になって、「下を育てていく年代になったなぁ」とも思うから、柏大好きな若者・次世代をつくっていくのが、今の私の役割かなと感じています。
置かれた環境でやり甲斐を見つける
―キャリアを拝見すると、漫画から始まり似顔絵やライブペインティング、シャッターアートなど色々なジャンルを通っていらっしゃいます。それを経て、学生時代に学んでいた日本画に戻ってきた時に、日本画の見え方や取り組み方に変化はありましたか?
【福永】:私以外の人が見ると、変遷してきたように思うでしょ?私の中では全然違っていて、似顔絵やシャッターアートはあくまでも仕事なんですよ。自分の表現としてやっていたのが漫画であり、その後に日本画になっていくんだけど、それと仕事はまったく別なんです。
ただ、ライブペインティングは趣味かな(笑) 周りの友達がやるっていうから、割と気軽にイベントの一出演者として出てていただけだし、音楽家さんとのコラボレーションだったので、それはまた別のものかな。
―絵や音楽など表現を志す場合、社会に出てから作品づくりと生業の部分で、バランスを取るのが難しかったり、自分のやりたい事がやれないようになっていくという話もよく聞きます。その辺りは、どう折り合いをつけながらやってこられたのですか?
【福永】:幸いなことに、今は画廊が自由にやらせてくれるので、そこはありがたいなと思っていますね。売れるための絵を描かなければならないという境遇にはいないから、自由にやれています。
実は20代半ばから約10年間、ほとんど自分の製作が出来ていないんですよ。仕事が忙しかったり、年頃だったから色々あって精神的に参ってしまったりとかで、自分の製作に時間が取れなかったのと、作品づくりをする気にならなかったというか……。でも、仲間がいたから復帰が出来たし、周りに触発されて作品と向き合うようになったんです。今となっては、すべて必要あってのことじゃないかなと思っています。
お金になる、ならないみたいな事とか、やりたい事ができないとか、クリエイターに限らずみんな抱えているんじゃないですかね。でも、いかに工夫をして、その環境でどう自分の中でやり甲斐や、やる意義を見つけていくのかということですかね。
私もね、やりたいことを違うことを仕事として受けることもありますよ。でも、その中で出来ることを探すというのは、それはそれで面白いと思いますよ。
―今は、面白いことだけを選んでやっている感じでしょうか?
【福永】:そうそう。やりたくない事は、やらないって決めたんです。2012年にバセドウ病を発症して、進み具合から3~4年前から始まってるねと言われました。原因は過度のストレス。ちょうど気が進まない仕事をやっていた時期でした。やりたくないんだけど、責任感から身体の悲鳴を無視して、気力で抑え込んでいました。
それ以来、「これからは身体の言いなりになる!」って決めて、そこからは、ストレスを感じるようなことも、我慢もしていないかな。
実はね、前半に話した能舞台の話も、最初は気が進まなかったんですが、能楽師さんと会った時に「この人のためになら協力したい」と思ったんです。それは、自分で決めたことですからね。やりたいことに変換する術を覚えたから、ストレスは溜まらないんですよ。
この記事のゲスト
福永明子
1983年『りぼん』に漫画家最年少デビュー、以後3作発表
1989年 京都芸術短期大学(現:京都芸術大学)日本画コース卒業
1995年 日本画公募 第29回 東方展入選
2006~2009年 柏ライヴペインティングイベント企画/運営/出演
2007~2009年 日本橋めぐりの会シャッター浮世絵製作(計6作)
2008年より「JOBANアートラインかしわ」実行委員
2010年 第28回 上野の森美術館大賞展入選
2012年よりアートラインかしわ「共晶点~柏ゆかりの新進作家~」企画/出展
2014年 個展「Flowers of Decade」(いしど画材)
2016年 個展「うつしよ(現世)」(銀座柳画廊)
2017年 京都 真謡会館 能舞台鏡板製作
2018年 個展「もののあはれ」(銀座柳画廊)
2021年 個展「かしごころ-和心-」(銀座柳画廊)
2024年 個展「ひのもと」(銀座柳画廊)
2025年 8月 パレット柏 柏市民活動ギャラリーにて個展を開催予定