「みんなで育てよう!W杯得点王」 J2日本人得点王のストライカーが選んだセカンドキャリア
インタビュー

「みんなで育てよう!W杯得点王」 J2日本人得点王のストライカーが選んだセカンドキャリア

大きな選択を迫られる場面で、すぐに判断をして“こたえ”を出すことが出来るだろうか?

そんな時、自分の心に寄り添う言葉があれば、決断を後押ししてくれたり、後の人生において大切な金言となるかもしれない。

信頼のおける人に相談をしたり、本を読んだり、インターネットで検索をかけたり、言葉探しにも色々な方法があるが、誰かの人生に触れてみることも、“こたえ”を見つけるヒントになったりもする。

今回、話を伺ったのは一般社団法人TRE代表の長谷川太郎さん。現在は日本人初のストライカー専門コーチとして、ジュニア世代からJFLの選手までを指導されている長谷川さんは、柏レイソルの下部組織から、高校生の時にトップチームデビュー。ヴァンフォーレ甲府に所属していた2005年にはJ2日本人得点王となる17ゴールを挙げ、チーム初のJ1昇格に貢献。その後もJFLだったギラヴァンツ北九州をJ2昇格に導くなど、17年に渡るプロサッカー選手としてのキャリアの中で、いくつかの言葉に背中を押してもらったと言います。

とことんサッカーをやるために、環境を整える


―1979年生まれ。1993年にJリーグが発足したので、中学生の時に日本にプロリーグが誕生しました。幼い頃にはプロが無かったわけですが、いつからプロサッカー選手を意識していたのですか?

【長谷川】:小学1年生の時に『キャプテン翼』を観て、「プロサッカー選手になる!」という感じでした。その頃はプロリーグではなかったですが日本リーグがあったので、その世界をプロだと思っていました。


―Jリーグが大きな刺激になったというわけでは無いんですね。

【長谷川】:そうですね。ただ、自分が子供だったというのもありますが、あの当時のJリーグの選手は、ヒーローというか芸能人の方みたいに、すごくキラキラして見えていたので、「そこに行きたい!」という想いは強くなりましたね。


―1998年に当時J1だった柏レイソルでトップチームに昇格後、2002年にはJ2のアルビレックス新潟へ移籍をされます。長谷川さんがデビューした年にJ2が創設されたので、今のようにステータスが確立されていない中での移籍は、色々と感じることがあったのではないでしょうか?

【長谷川】:柏では1対1の決定的な場面でシュートを外したのがきっかけで、試合に出られない状況になっていたんです。そんな時に、柏のチームメイトだった洪明甫(ホン・ミョンボ)さんが、昔一緒にプレーしていた新潟の反町監督に「良い選手だから、経験を積ませてあげたい」というような感じで推薦してくれたそうなんです。

なるべく上のカテゴリーでやりたい気持ちはありましたけど、当時はJ2への移籍を選ばざるを得ない状況でしたね。そういった流れで移籍をしたんですが、J2で活躍するのも簡単ではないと感じることは何度もありました。


―新潟の後に移籍をしたヴァンフォーレ甲府でJ2日本人得点王になるなど活躍された後、30歳になる年にJFLのチームに移籍をされます。25歳前後で引退する選手も多い中、どういう想いでJFLへの移籍を選択されたのですか?

【長谷川】:「Jリーガーで無くなったらサッカーを辞める」と思っていましたし、自分にプレッシャーをかける意味でもそう決めていました。それでも、当時はJFLだった現在のギラヴァンツ北九州に移籍をしたのは、やっぱりサッカーが好きなことと、Jリーグを目指せる位置にいるチームだったので、「もう1度Jリーガーになれるように頑張ってみよう!」と思ったからですね。後悔するというか、まだJリーグでやりたいという気持ちがあるんだったら、そこにチャレンジしようというのが、その時に自分が感じたことです。

チームメイトも監督・コーチも良い人たちでしたし、J2に昇格することが出来たので、幸せな1年間だったというか、すごく良い経験になった貴重な1年間だったので、2009年の事はすごく覚えています。


―その後、2011年にはJFLよりも2つ下のカテゴリーの千葉県1部リーグだった、ブリオベッカ浦安に移籍という大きな選択をされます。

【長谷川】:2008年に横浜FCに在籍していた時のコーチが、浦安の監督をされていたので熱心に誘っていただいたんです。チームもJリーグを目指してやっていくというので「キャリアの最後に、都道府県リーグからJリーグまで戻れたらカッコイイんじゃないか?」と思いながらも、悩んでいました。それで、横浜FCで一緒だったカズさん(三浦知良選手)に連絡をしたら「サッカーは、どこでやってもサッカーだから」と言っていただいて、悩みが吹っ切れた感じです。

それまでのプロ契約から、練習とは別にスクールで指導をしたりと環境の変化は大きかったですけど、その一言があって浦安でやろうと思えました。


―プロサッカー選手として、35歳までキャリアを送られました。そこまでキャリアを続けるために、意識をしていたことはありますか?

【長谷川】:例えば、高校の時に「プロになれなかったら、どうする?」というのは、いつも聞かれていました。だからこそ、とことんサッカーをやるために、勉強はきちんとしていました。学校の成績が良く無かったら、親からもプロになることを応援されないと思っていたので。それに、うまく行かなかった時でも“大学に行ける”という形にするために、あえて大学の付属高校を選びました。

現役の時も、サッカー選手には必ず引退は来るので、セカンドキャリアの準備も空き時間には考えていました。それも保険をかけるというよりは、“とことんサッカーがやりたい”から、やっているような感覚です。周りに「選手の後は、どうするの?」って聞かれても、「準備しているから大丈夫だよ。だから、とことんまでサッカーをする」って言えるようにしていました。


未来のW杯得点王を育てるための取り組み


―2014年末に引退を発表。翌年に一般社団法人TREを立ち上げ、「TRE2030 STRIKER PROJECT 〜2030年 みんなで育てよう! W杯得点王〜」というメッセージを掲げて、活動されています。このメッセージは、かなりのインパクトが有りますよね。

【長谷川】:サッカー選手の時のように、目標を持ってやっていく必要があると考えたので、期限を決めてやって行こうと思ったんです。その時に10歳~12歳の子供たちが、サッカー選手にとって脂が乗り切る25歳前後になるタイミングのワールドカップが2030年。自分も50代になるタイミングだし、キリも良くて覚えやすいので期限を決めました。

“W杯得点王=最強のストライカー”を育てるという目的は決めたものの、1人でやるのは難しいとも感じていました。日本代表を経験したストライカーたちの知恵など、色々なものを得ながら子供たちが育っていくのが良いだろうと考え、“みんなで育てよう”という言葉が出てきて、今のメッセージになりました。


―活動のメインは、ストライカーを育成するためのスクールでしょうか?

【長谷川】:そうですね。広く情報を伝えるために、メディアを始めたいとも考えたんですが、現場で指導をしている経験がないと難しい部分もあるので、まずはTRE2030 STRIKER ACADEMYというサッカースクールを始めました。現在は、品川・柏・伊東・熊本・燕三条・昭和の森フォレスト校があって、Jリーグやなでしこリーグの経験者たちと一緒に指導をしています。

あとは、各地に行けるよう、STRIKER CLINICというスポットでも受講してもらえるイベントを全国で開催しています。STRIKER CLINICでは、自分やTREに参加してくれているメンバーだけではなく、ゲストが指導に来てくれることもあります。J1で得点王にもなった佐藤寿人さんに来てもらったりもしました。

昨年末には、『STRIKER One』というYouTubeチャンネルも立ち上げました。当初から考えていた、色んなストライカーたちが広く発信していくメディアで、最初のゲストには、柏レイソルの時にチームメイトだった玉田圭司さんが出てくれました。バズを狙うというよりは、本質的なことをしっかりと伝えたいと思っていて、色々と取り組んでいる最中です。

―“ワールドカップ得点王”を育てるにあたって、どういう事が必要だと考えていますか?

【長谷川】:この活動を始めた時に感じたのが、子供がシュートを決めた時にはクールなのに、外した時には「あ~!!!」と大きな反応をしている指導者の人が多いということなんです。そうではなく、「失敗しても構わないから、チャレンジしていこう」という、シュートをどんどん打てる雰囲気をつくっていく必要性があると思いました。

そのために、自分できちんと言語化して、指導者たちにシュートに関する正しい知識を広く伝えていきたいということと、シュートを打つシチュエーションを多くしていくということを今は考えています。


―現在のサッカー界では、シュートの練習が少ないという事でしょうか?

【長谷川】:日本のサッカー界では、ボール回しの練習がかなり多いんです。昨年、ポルトガルに移籍をしたカズさんに会いに行ってお話をさせていただいたんですが、シュートゲームやシュートトレーニングが多くシュートを打つ機会がたくさんあると仰っていました。そういう文化を聞くと、自主練習でもいいのでシュートを打つ機会を増やしていかなければと、一層感じました。

でも、シュートを打つ機会を増やすだけでは不十分で、その時に指導者が間違ったアドバイスをしてしまうと、ゴールに繋がりにくくなります。

例えば、右足でシュートを打つ時、まずは自分から見て右側を狙うから、相手も右側を警戒して左側が空きやすくなりますし、そのまま右にも蹴りやすいんです。それを初めから「左を狙え」と言ってしまうと、右に蹴る時には脚を開かなければならないので、相手に読まれやすくなってしまいます。こういった事を指導する人たちに伝えていくために、言語化して体系立てていこうと思っています。


ワクワクしながら、人の役に立つ活動をしていきたい


―これまでのキャリアで、転職・転勤など環境の変化を多く体験されています。新しい環境を選ぶ時、何を軸に選択をされていましたか?

【長谷川】:「自分が成長できるのはどこだろう?」というのは、常に考えていましたね。悩んだ時には、“難しい方”を選んだ事もありました。“難しい”というのは、“自分が成長できる”ということだとも思うので。だから、最終的には「ここだったら成長できる!」と思った所に飛び込む感覚ですね。

悩んで選んだ道なら、どれを選んでも正解だと思うんです。だからこそ、“選んだ道が正解だと思えるようになることが大切”だと子供たちにも伝えています。


―長谷川さんの活動と“ストライカー”という言葉がセットになっていると思います。長谷川さんにとっての“ストライカー”は、どういう事ですか?

【長谷川】:指導者になった今は、ポジションではなく「自分がゴールを決める」とか「サポーターの心を揺さぶるプレーをする」といった“志を持った選手”をストライカーだと、自分は定義づけています。

子供たちは成長によって、プレーするポジションが変わってきたりもします。だからこそ“志”を大事にして欲しい。そういう意味も込めて、「どのポジションでもストライカーになれるんだよ」と話していますね。


―子供たちへのメッセージもいただけて、長谷川さんが常に2030年に向けて活動されているんだなと感じます。TREではアパレルの販売もされています。これもストライカーの育成に繋がっているんですね。

【長谷川】:単純にアパレルを販売するだけでは、TREの活動としては違うような気がしたので、2030年に繋がる取り組みになるように考えています。

売上の一部で、STRIKER CLINICに佐藤寿人さんをお招きし、子供たちに無料で一流のストライカーのノウハウを伝えて頂いたりもしましたし、これからはSTRIKER oneの動画制作に充てたりしながら、より広く、子供たちにストライカーたちが持つ考え方やプレーを発信していきたいと思っています。

アパレルブランド「TUTTO PER UN GOL.」


―TREとしての活動も10年目になります。ここまでの道のりと、これからの行き先をどう考えていますか?

【長谷川】:始めた当時はストライカーに特化したクリニックは、ほとんど無かったんですが、今ではTREだけではなく他の所でも企画されるようになりました。「他にもやってくれる人たちが出てきたら、1つの成功かな」と考えていたので、すごく嬉しく思っています。STRIKER CLINICやYouTubeも、引退した選手たちに声をかけて参加してもらったり出来ているので、考えたことが少しずつ形になってきたのかなと思っています。

サッカー選手の次の夢がなかなか見つけられずに、セカンドキャリアで苦しんだ時期もありました。選手の時は、応援してもらったりして役に立てているという実感できていましたし、すごくワクワクも出来ましたが、引退後に人の役に立てているという実感がなく、ワクワクすることもなく、それがすごく辛かったんです。

そういう経験をしたので、“ワクワク+貢献”を自分のテーマにして、少しでも人に貢献できるようにとの想いで、これまでTREの活動をしてきました。自分は引退した後に、TREを始めるまでに迷子になっていたんですけど、引退した選手たちがそうならないようにとか、人生がより良くなっていくための助けになれるように、頑張っていきたいと思っています。

あとは、やっぱり子供たちですね。1人でも多くの選手の努力が報われて欲しいと思っているので、自分が恩人や恩師にしてもらったように、1人1人の選手に対して、真摯に向き合っていきたいですね。1つのゴールで人生が変わるので、選手たちの人生がより良い方向に行けるようにやっていきたいと思っています。
         

この記事のゲスト

長谷川太郎

1979年8月生まれ。 東京都出身。 柏レイソルの下部組織を経て、1998年高校生の時にトップチームに昇格。ヴァンフォーレ甲府時代の2005年にはJ2で日本人トップとなる17得点を挙げ、J1昇格に貢献。

2014年に現役を引退。2015年にはストライカーに特化したサッカースクール「TRE2030 STRIKER ACADEMY」を立ち上げ、日本初のストライカーコーチとして次世代の育成に力を注いでいる。